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 「先生、聞いてもいい?」
 「ん、なんだ?」
 普段とは違って遠慮がちな物言いで裕一が口を開く。
 母親がいそいそと持ってきたケーキをぱくつく休憩時間、ずっと聞きたかった事を、勇気を出して聞いてみた。
 受験シーズンに入っても変わらず明は来てくれた。嬉しかったが心配だった。
 
 「先生・・・何処の大学受けんの?」
 
 いつもより、小さな弱い声だった。
 ずっと気になっていたけれど、聞くのが不安だった。明がずば抜けて出来が良い事を裕一は知っている。『先生だったら大概の所は希望通りに行けるんだろうな。』とも受験知識がなくとも思っていた。
 けれど、明が県外の国立,有名私立に進学=別れ という現実が怖くて、今まで聞けなかった。
 
 「大学?」
 「うん。」
 「あ、そうか。裕一とはこの話した事無かったな。」
 裕一は息を呑み込んだ
 
 「うちの大学進む事にした。」
 「え、ほんと?」
 裕一の目の前がパーっと晴れた。
 
 「でも、どうして?そりゃうちの大学もレベル高いけど・・・先生だったらもっと良い大学行けんじゃないの?」
 素直な疑問だった。
 
 「来年まで受験勉強しんどいなーと思ってさ。」
 明は笑いながら答えた。明が勉強を苦痛と思って無い事も知ってるし、冗談の物言いなのも長年の付き合いで裕一は感じた。
 でも、まだ関係が変わらずに居れる事が嬉しくて裕一の顔は自然と綻んだ。
 
 「うちの大学に行こうと思ったら、どうなんの?受験とかあるの?」
 ただ明と同じ高校という目的だけで入った裕一は、自分も進むであろう大学のこともサッパリわからない。
 「受験っていうのは無いけど。。。推薦取るのや進学試験も結構大変でさ。他の奴はそうでもなさそうなんだけど・・・」
 「同じ大学でも、先生は大変なの?」
 まだまだ先の大学進学に対して、裕一は想像がつかないでいて、質問を繰り出す。
 「学部によって違うんだよ。」
  「ふーん・・・先生学部、何?」
 
 「あー医学部。」
 紅茶を飲みながらさらっとでた明の言葉。

 「えーーーー!!」
 けれど聞いた裕一は余りの驚きに、癇癪を起こした時位の大声をだしていた。
 
 「裕一、どしたんだ?下のお母さんびっくりするぞ。」
 突然素っ頓狂な声を上げた裕一を、明は窘めた。
 
 「だ、だって・・・」
 裕一は明が医者になりたいだなんて一度も聞いた事が無かった。でも今はそんな事今はどうでもよかった。

 「医学部って・・・先生と大学入っても一緒だ!!」

 裕一がまた声を出して喜んだ。
 大声の原因はこれだった。
 裕一の進路は自分で決めるのではなく、とっくに決められていた。
   家を継ぐ。
 それは、大学から裕一の意志を離れた所で動き始める、自分の人生だった。
 我が侭で自我が強い裕一は、家の病院を継ぐという決められた進路に気はあまり進まなかった。
 
 けれど
 
 明の進路を聞いた瞬間から、家に感謝した。
 
 もしかしたら、大好きな自分だけの先生と、もうお別れになるのかも。そんな恐怖に怯えていたのに
 考えてもみなかった 同じ大学の、尚且つ同じ学部 という全く反対の地獄から天国の事実に裕一は叫ばずにはいられなかった。
 
 「あーそうか。まだ先だけど、裕一も医学部進学だもんな。大学行ったら先輩後輩だな。」
 当たり前の事に気付かなかった明が少し自分に笑いながら、裕一に答えた。
 
 裕一は明のその優しい笑顔が大好きだった。
 同じ高校に入ってもあまり会えなかった。寂しかった。
 でも、大学に行っても、先生が居る。
 
 「俺、めっちゃくちゃ嬉しい!」
 裕一は感情を全身で表現して小犬のように、明に飛びつく様に抱きついた。
 明は裕一の頭が勢いで眼鏡に当たり、少し痛かったが怒らず笑っていた。
 余りにも過度すぎて以前は支障が出ていたが、それでも惜しみない両親の愛情を一杯に受けたからこそ形成された天真爛漫さだと明は思う。 
 拗ねたり、怒ったり、まさに感情そのまま表に出す裕一に手を焼くが、反対に子供の様な純粋さがかわいいと思う。
 
 「あー」
 抱きついている裕一をあやしながら、明はふと思い付いたように声をだした。
 「今まで気付かなかったけどさ・・・裕一、エスカレーターで進学するんだったら、もしかして家庭教師要らないんじゃないのか?」
 裕一が中学の時に雇われたのは、勿論受験の為で。
 高校に合格してからも、変わらずに来ている。裕一の成績が良いので家庭教師は要らないのでは?という話になった事が有ったが・・・そんな事以前に、受験をしないのであれば。。こんな前提の事を忘れていただなんて。
 
 「え?先生、辞めちゃうって事?」
 途端に裕一の機嫌が悪くなった。
 「辞めるって言うか・・・」
 「親は受験まで先生に見て貰えって言ってるよ!」
 「それは、おばさんもおじさんも、学内試験で行けるとかきっと知らないんじゃないのか?」
 どっからみても箱入り娘がそのまま大人になった少女のような母親と、仕事に忙しく家庭の事に全く疎そうな父親。明は裕一の両親を頭に浮かべた。
 そう言えば裕一が高校受験する時にも、一から十まで説明したような気がする。
 
 「・・・・そんなの黙ってればいいだろ。」
 「俺がうちの医学部に進学決まったら、ばれるよ。。」
 「嘘つきゃいいじゃん。」
 「・・・騙すのは嫌だよ。」
 明は困った様に微笑んだ。世話になってる裕一の両親を騙して、時給を貰うなんて事したくはなかった。
 黙ってりゃ判らないのに,嘘つきゃやって行けるのに。裕一は顔を顰めた。頑固ジジイみたいな石頭の明だと、時々思う。
 
 『いくら同じ大学で学部に行けるからって・・・そんな・・2年先まで離れるなんて・・・
  嫌だ。』
 裕一は無言で明を上目遣いで見つめた。

 「・・・なーせんせ。進学すんのも成績良くなかったら駄目なんじゃないの?」
 「まぁ、そりゃそうだけど。裕一の今の成績だったらきっと大丈夫だよ。」
 「受験無くっても、医学部は大変なんだろ?」
 「大変ったって、他の学部より色々厳しかったりややこしかったりはするけど・・・」
 
 
 ガタンッっと大きな音をさせて、裕一が乱暴に立った。
 びっくりして見上げた明の腕を、裕一は両手で掴み立ち上がらせる。
 「ど、どした?裕一?!」
 戸惑う明の腕を、だだっ子の様に強い力で引っ張る。
 
 「せんせ、来て。」
 明は勢いに引っ張られ、裕一に連れられる。
 裕一は明の腕に両腕を絡ませたまま部屋を出た。

    
 
 「ママー!! ママーーー!!!」
 大声を出しながら階段を下りる。広い家に響き渡った。
 大人ぶってる時は隠しているけれど、余裕が無いのかいつもの呼び方で裕一は母親を呼んでいた。

  
 
 「どうしたの?!なんなの?裕一ちゃん。」 
 二人が階段を降り終える頃、びっくりした母親がリビングから飛んで出てきていた。
 
 裕一は状況が解らず戸惑っている明を母親の前に突き出す。
 「ねぇ、ママ聞いて!先生さ、大学うちの医学部行くんだってさ!」
 
 息子に呼ばれ、何のことか解らず首をかしげていた母親が、裕一の言葉を聞き暫く止まった。
 「・・・まぁ〜!そうなの!」
 何秒間か後、天真爛漫な声を上げた。
 「明君、お医者さんになるの?!裕一と一緒じゃない!ね〜!」
 息子に似た子供の様な声で、裕一と明交互に喜びの笑顔を振りまき始めた。
 
 「そうなんだ。先生が先輩になるんだよ。」
 「しっかりしてるし、お勉強出来るものね〜明君。ぴったりだわ。」
 テンション高い親子のやり取りに明は一人たじろぎ、作り笑いを返していた。
 
 「明君、受験頑張ってね。」
 「ママ、受験はうちの大学だから無いらしいんだ。」
 隠せ騙せと言っていた裕一が、自分から母親に言った。
 「そうなの?」
 裕一の母親はやっぱり何も知らなかったであろう、純粋な驚きをみせた。
 「受験しなくて良いの?裕一ちゃん、良かったじゃない。」
 「それがさ、受験が無い分これから2年の成績で決まるらしいんだ。今なら大丈夫だけど、俺下がったら、やばいかも。」
 「え!?大変じゃない!」
 明が口を挟む隙無く、裕一は喋り続ける。
 「だろ。それに医学部は進学試験も他と違ってややこしいんだって。」
 「まぁどうしましょ。。そんな、裕一ちゃんには必ず行って貰わないと・・」
 初めて聞く難しそうで解らない世界に、裕一の母親は完全にのせられ困っていた。
 
 「そうだろ。でもさ、受験は無いけど、先輩の先生がこれからもついててくれたら・・・俺、大丈夫だと思うんだよね。」
 「あっ、ほんと!そうだわ!」
 「俺が進学決まるまで、先生今まで通り来てもらって良い?先生いなくなったら、
  俺 多分勉強しないよ。」
 そう言って、母親にワガママな顔を見せた裕一を、あっけにとられて明は見ていた。視線をずらし、目の前をみると、神にすがるような目で見ている裕一の母親がいた。
 
 「明君・・・どうか、どうかお願いします。」
 ぺこぺこ頭を下げる裕一の母親を前に、明はあたふたしながら「わかりました」を繰り返すしか無かった。
 
 明が了承しくれたと安心した途端、裕一の母親はにっこりと微笑み
 「あなたー!あなたーー!!」
 と裕一と同じトーンで、リビングに居る夫を呼び始めた。
 
 
 「ちょっと・・・おい。。」
 話の展開に振り回されている明が、小さな声で裕一に問い掛ける。
      
 「内緒にもしてないし、嘘もついて無いでしょ。」
    
 ツンとした顔のまま言われた裕一の一言に、明は返す言葉は無かった。

    

   
 
 母親と同じ様に明の事に喜び、息子のはっきりとした「俺も絶対医学部に進む」宣言を聞き、裕一の父親はいつになく機嫌が良くなった。
 
 笑顔で明に家庭教師続行をお願いする両親,戸惑い困った顔をしながら了解してくれた先生。
 3人を見ながら裕一は漸く安心し、笑った。
 
 
 『先生を・・・離すもんか。』
 
 
 明の腕にしがみついている両手に力を入れた。
 
   

  

   

   


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